元和元年五月二日、後藤基次は、大和口の大将としてまさに出立する時、
『今度は生きて再び帰ることが無いであろうから、秀頼公に最後のお暇を申し上げよう。』
と、御広間へ向かい、
速水出来丸を通して斯くと言上すると、秀頼も早速に出御し、
「早や、出陣か。」
と声をかけた。
基次は謹んで畏まり、
「私は不肖の身ではありますが、去年召し出して頂き、直ぐに諸大夫に仰せ付けられ、
殊に大将の号を許された事、弓矢の面目死後の思い出、何事がこれに勝るでしょうか。
であるのに私は、尺寸もこの御恩に対して報いておらず、
この事、返す返すも口惜しく思っていました。
この基次、今度は一番に東兵に相当たり、千変万化に戦って、
これぞと思う敵と引き組み討ち死にし、
せめてもの忠を泉下に報い奉ろうと決心しています。
然らば、今生において御尊顔を拝するのもこれが限りであり、一層名残惜しく存じます。」
さしもの猛き基次も、この時はしきりに涙を拭っていた。
秀頼もまた涙を流しながら、
「汝の忠貞は感ずるに余りある。
私も宿運拙く、いまやこの体になってしまい、一日も安堵の思いなく、遺恨余りある。
しかしこれも、前世からの宿業なのであろう。
汝と真田を私は、我が両翼と思っている。
例え討ち死にの覚悟であったとしても必ず、
再びこの城に帰って、私と死を共にするのだ。
この事、必ず忘れてはならぬぞ。」
基次はこの上意の有り難さに感涙を流していたが、率然と叫んだ。
「天晴! 名君の仰せであるかな!
今生の望みもこれにて満たされました。
上意の趣、畏まり奉ります。」
そう言って御前に在った傍輩たちにも皆、暇乞いをして広間を立った。
そして襖障子に一種の歌を書き付けた。
『主命ぞ 親子も捨つる武士の道 辞ひとつの命もろとも』
これを見る者は皆、感動し、世の口碑に刻まれたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!