城には、後藤という鋭将がいる☆ | げむおた街道をゆく

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大坂冬の陣、大阪方が十一月三十日に、

天満、船場を自焼して城内へ撤退した時、

天満、船場は高家華麗に甍を並べていたため、火も甚だ盛んであり、翌日まで燃え続けた。
 

この時、後藤又兵衛が曰く。

「(池田忠継の)備前勢が、この撤退を追撃して天満に入ってくるだろう。

そのため壮士たちを烟の下に伏兵として置いて、

敵が侵入すれば不意に発して功名すべき。」

と旨を下知したため、勇壮の士がここかしこに伏していたが、

備前勢はみだりに近づくような事は無かった。
 

この予想の相違に対して悉く、後藤が己の武勇を誇って、

恣の下知を下していると嘲る色が見えた。
 

しかし又兵衛は、

「何事も時に依っては見積もりが相違するものだ。

備前勢が必ず付け入るべき所で、疑義したのには理由がある。

池田忠継の相備に、花房助兵衛職秀が未だ存生で来ているのだろか。

であれば、彼の意を加えたのであろう。」

と言った。

冬の陣の御和睦の後、戸川弥左衛門が後藤又兵衛を招き宴会をした時、又兵衛は聞いた。
「今回の戦で、天満、船場の外塁を自焼してその兵を郭の内に引き取った時、

どうして備前、備中の軍勢は城兵を追尾して討たなかったのか。」

弥左衛門曰く。
「私の愚兄である肥後守を始め、烟に紛れて付き慕わんと進んだのだが、

花房助兵衛がそれを固く制し、
『城には後藤という鋭将がある。恣に追撃して不覚をするべきではない。』
と言った為に、これを討たなかったのだ。」
と答えた。

誠に又兵衛が察したことと相違無かったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 大坂城五人衆の一、後藤又兵衛

 

 

 

ごきげんよう!