黒田長政の嫡男・万徳丸(黒田忠之)4歳の年の暮れ、
長政の伯父黒田図書の屋敷にて、袴着(幼年期から少年期への移りめの儀式)が行われた。
この時、黒田家中の主だったものは、皆罷出て、万々歳を唱えた。
ところで黒田家重臣・母里但馬守友信は、
万徳丸の蟇目(懐妊5ケ月目の15日に胎児の健康なる成長を祈って弓を射る儀式)親であり、万徳丸は常に、「祖父祖父(じい、じい)」と呼んで良く懐いていた。
この時も母里は、万徳丸の頭をクシャクシャに撫でながら、
「万徳丸殿、早く成人して武辺をなされよ?
侍は他に何もいらない、武辺が専一です。
とと様よりは武辺を能くしてくださいよ。」
これを聞いて激怒したのが長政である。
「但馬何をいうか!
このワシより能くせよとは!?
わたしの武勇を悪しく思っているのかあっ!?
ワシが若い頃には備後(栗山利安)、次には其方を指図し、
朝鮮でも度々、その後も神戸、関ヶ原の合戦と、
私は武辺を示してきた。
その後は天下静謐となり合戦の場数を稼ぐことはできていないが、
とにかく私は其方共に見限られるような武将ではない!
それを何だ!?
とと様より能くせよとは!
全く理解出来ない!」
そう叫ぶと大脇差を抜いて母里を睨みつけた。
その場の人々、
『これは何事だ、大事が起こるぞ!?』
とハラハラしながら見ていると、
母里は長政の脇を向き天井の方を眺めながら、
「変なことに腹を立てる人がいるものだ。
自分の子供が武辺を能くせよと言われるのが悪いことか?
変な人が居るものだなあ。」
と、そのまま長政の方には見向きもせずに言った。
この態度に長政は治まらない。
「万徳に武辺をせよというのが悪いのではない!
しかし親より能くせよとな何事だ!?」
これに母里は冷笑し、
「他人事ではありますが、御心を静めて聞いてください。
武辺というのは図ることも出来ず、底も知れないものです。
何度合戦に挑んでも、やりきったと思うことはありません。
合戦のたびに『やり足りなかった。』と後悔しないことは稀です。
残念な働きだったと思っているのに、周りが『比類なき働きだった!』と言われれば、
不承不承そういうものだとしておきます。
そうであるのに、殿は大名であって能き人を多く引き連れ、
能き作戦の元に得たお手柄自慢、笑止ですな。
勝ち戦ばかりにお会いなされ、いつもこんな物だと思っていたら必ず不覚を取りますぞ!
まあその辺りの事はそれがしより備後に聞いたほうが詳しいでしょう。
それはともかく万徳殿、どうか武辺を成し給え。」
相変わらず長政をガン無視したまま、そう言いつつ万徳丸の頭を撫でた。
さてこの時、その栗山備後守利安は、次の間で若い衆たちに酒を勧めて回っていたのだが、
長政と母里が声高に言い合っているのを聞きつけ、
土器と銚子を持って走ってやってきた。
そして長政に、
「さてさて勿体無い事ですがこれは私にくだされた盃です。
憚りながらこれを拝上いたしたいと思います。」
これを長政の方に差し上げ、
「私が若年で小姓だった頃、如水様の御前でやった小笠原流のお酌を、
今ここで思い出しつつ、
昔を懐かしみながらお酌致します。」
と盃に酒を注げば長政、
「栗山から盃をもらうのはいつものことだが、酌は珍しい。」
と笑いながらこれを飲むと、栗山、
「その返杯は但馬(母里)に下さいませ。」
と言って母里の方を向き、
「おいキチガイ! こっちに出てきて杯を頂戴いたせ!」
これに母里も、「畏れ入り候。」と罷出て、頂戴仕った。
これで長政も母里も何事もなかったかのようになり、酒宴大いに盛り上がる。
ここで栗山、一同に申し上げたことには、
「若き者共、よーく聞け!
お心掛けの深いのも殿様であり、無分別なのも殿様である!
そして大たわけで、かつ頼もしいのも母里但馬。
どうだ当家の武勇、末頼もしいとは思わないか!?
平穏なときはこのように目出度い場で、高下の区別なく酒を飲み楽をし、
一旦ことあれば槍を突きまくってすべき事をしておけば、
やがて主君になる人(万徳丸)も、何事も許してくれるぞ!
さあ歌え舞え!」
これに長政すっかり機嫌も直り、
「備後の申すように、為すべき事を為した者には、許してやる事も大切だな。」
と言い、そのまま夜明けまで酒宴をしたそうだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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