黒田長政が、慶長の役で、和寧関に陣を敷いた時のこと。
先鋒の後藤又兵衛と栗山備後利安の兵三千は、明軍数万の奇襲を受けた。
早速、本陣に知らせを送ることになったが、利安は使者を呼び止めた。
「待て、書状を見せてみよ。」
『ご注進 敵が夜中に川を越え交戦中。早々に援軍をお頼み申し上げます。』
「なんじゃこりゃ、書き直せ。良いか、文面は・・・。」
『ご注進 敵が夜中に川を越えましたが、大事ないので我らのことはご心配なく。』
又兵衛と利安が必死に防戦した結果、何とか敵を追い返し、
やがて異変を知った長政もやって来た。
「備後! 何故わしに黙って戦を始めた!」
「・・・敵の奇襲を受けたゆえ、戦を始め申した!」
「いや、怒っているのではない。
何故黙ってこんな危ない戦をする?
お前が死ねば、わしも生きている甲斐がないではないか・・・。」
涙ぐむ主君を見て黒田惣右衛門(図書助・如水弟)が、
「申し訳ない、『早々に救援を』という書状を書き直したので・・・。」
と謝るのを利安は遮り、堂々と言った。
「書状は拙者の吟味の上、書き直しました。
それは、明軍数万と対する上は救援を頼んでも間に合うか分からぬ。
もうこれは遺言になろう、と思っての事にござる。
また、『我らのことはご心配なく』との書状が秀吉公他に知られれば、
「覚悟の上で働くも力及ばず、あっぱれ黒田武士」と、評判になりましょう。
しかし『早々に援軍を』などという書状が知られ、
「少数だからと後詰を待ち、臆したる卑怯者」
と言われては、御家の為に死んだ者の恥辱となりましょう。それを考えての事にござる。」
「・・・お前のその豪気あるからこそ、
わしはお前が死ねば、生き甲斐がなくなるのだ・・・。」
あとの長政は、余計な言葉もなく、ただ感涙し続けた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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