黒田孝高(官兵衛)・長政父子が、豊前において、
城井鎮房と戦っていた折のこと。
野中左京大夫、その弟の兵庫助は、
これも豊前の国人で、他の者達より領地広く、
殊に勇気人に優れた者達であったが、城井方に付き、兵を多く集め、
左京大夫は下毛郡津民村の長岩城に籠もり、
兵庫助は上毛郡友枝村の雁股ヶ岳城に立て籠もった。
両城共に堅固なる要害であった。
黒田長政は彼らを攻めるため、士卒を引き連れ向かうと、野中も居城より出て、
井手の口と言う所で対陣した。
長政はここで大いに合戦して、野中勢を切り崩し、敵勢尽く城に逃げ入った。
その後、野中勢は籠城して手出ししてこようとしなかった。
しかし彼の地は難所であるため、
急に攻め落とすことは困難であり、長政は孝高と相談し、
栗山四郎右衛門(利安)に、
「野中の城に馳せ向かい、何か手立てを以って攻め落とすように。」
と命じた。しかし四郎右衛門、
「かの両城は切所であり、殊に敵は大勢です。
私が小勢で攻めて、もし戦に負ければ、お為になりません。
他の者に仰せ付けられるべきです。」
長政は、これを聞くと激怒した。
「四郎右衛門、臆したる返答なり!」
「そのように私を臆病者とお考えなら、なおさら他の者に仰せ付けなされ!」
「お前を選んで申し付けたのだ! どうあっても出陣しろ!」
そう再び命じた。
四郎右衛門は、
「この上は、とかく申すに及ばず。」
と了承し、士卒を率いて彼の地へと赴いた。
彼はこの時、
『家臣多き中に、今度の打ち手に選ばれ指を向けられたことは、
武士の面目、これに過ぎる事はない。
であれば、今度の戦に打ち勝って敵を平らげれば、生涯の大幸である。
もし撃ち負ければ、何の面目があって主君にも朋輩にも再び顔を向けられるだろうか。』
と思い、諸卒を励まし精力を尽くして戦った。
敵は、山中より出て度々戦ったが、四郎右衛門はその度に戦の利を得たので、
敵はその勇気に挫かれ、
叶わないと思ったか、ついに両城を放棄し退いた。
その後、野中兵庫助は豊後に逃げて身を隠していたのを、黒田孝高より大友に通報したため、
彼の地にて誅殺された。
今回の戦で、栗山四郎右衛門は、度々の戦に打ち勝って敵を退治し、両城を乗っ取ったこと、
孝高・長政父子は甚だ感じ入り、その褒賞として野中の所領を四郎右衛門に与えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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