諱は、一成。
荒木村重の家臣・加藤重徳の二男として生まれました。
そう、彼こそ、有岡城の戦いにおいて幽閉されてしまった孝高が、
密かに彼の身の回りの世話をしてくれた重徳に感謝して引き取り、
長政の弟のように育てた子・玉松だったのです。
成長した玉松は、三左衛門と名乗り、長政の側近として武功を上げ、
また筑前入封後は幕閣との外交に奔走し、
長政の信頼のおける家老の一人となりました。
ところで、この黒田一成、栗山利安の長女を娶っていたわけで、
つまり黒田騒動の主役である栗山大膳の姉婿に当たります。
そんな彼ですから、最初は大膳と同調して忠之と対立していたのですが、
次第に大膳が暴走をし始め、ついには主君を訴えるという斜め上の事態を引き起こします。
さすがに主家が取り潰されてはならんと、
重臣の多くは忠之につくのが黒田騒動のクライマックスなのですが、
この騒動の評定で忠之側として最も活躍したのがこの一成なのです。
自尊心の高い口のうまい20歳も年下の義弟と対決することになった一成。
生意気な義弟は言います。
「美作は私の姉婿でありますが、律義さが取り柄の文盲ですから、
こんなところに出てきても意味などありますまい。」
この辛辣な物言いに一成は落ち着いて返します。
「確かに私は仮名も満足に読み書きもできない文盲で、
大膳は学文多才で色々なことを知っているようだ。
しかし、あなたは先ほどより古語を引いて小難しいことばかり並べ立てているようだが、
孟子だか論語だかに、
『君君たらずとも臣臣足たるとやらん』
とあるそうだが、あなたのやっていることはなんだ?
主君を無実の罪で訴えるなど言語道断、論語読みの論語知らずとは、
あなたのような人間のことをいうのではないか。」
これには大膳も一旦言葉を失いますが、黙ってしまうような男ではありません。
「美作は私とは違って江戸に詰めることが多かったので、
筑前で何が起こっていたかよく知らないのでしょう。
私は殿が幼少の頃より貢献して、あれこれ世話を焼き、
先代が廃嫡を考えた時もたびたび反対し、
更に忠之さまを亡き者にしようと私に命じた時もお助けいたしました。
それなのに、
殿ときたら倉八とかいう若輩者をとりたて、私を疎み、切腹を命じるならまだしも、
私に毒を盛ろうとする始末。
こんな仕打ちがありましょうか。
それで私はこのたび訴え出たのです。」
口の減らない大膳に、一成は思わず一言、
「しかし、あなたが毒を盛られたくらいで死ぬような人間とはまったく思えません。
それをこのたびの反逆の理由と言われても、どう納得できましょうか。」
これにはさすがの大膳もぐうの音も出ない。
そもそも、まったく根も葉もない謀反の訴えなど誰も信じるはずなどなく、
この後、同じようなやり取りを他の老親たちと交わして評定は終わり、
無事黒田の御家は守られたのでした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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