お綱門☆ | げむおた街道をゆく

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黒田長政の子の忠之のころ、家臣に明石四郎左衛門というものがいて、
忠之に気に入られていた。

 

妻はお綱という名だったが、
嫉妬心が強く、主人の帰りが遅いとやきもちを妬き、

荒れ狂うことが多かった。

そんな折、忠之が参勤交代のときに大坂で見初めた芸妓を、
福岡につれて帰ったものの、家老に諌められ、結局、明石に下げ渡した。
 

明石も殿様の命とあっては断るには行かなかったので第二夫人とした。
そして明石は、芸妓の美しさにのめり込んでいった。
 

そして、第二夫人が本宅にあがり、本妻のお綱が、子供二人と下人とともに、
下屋敷に移された。

 

そして、本宅は毎日酒宴を挙げているにもかかわらず、
仕送りも滞っていき、屋敷も荒れて下人もいなくなっていった。

ある年の端午の節句の日に、せめて雛祭りはと残っていた下人を使わしたが、
明石は、

「すでに絶縁。」

と取り合わず、下人は奥方を合わせる顔が無く、
また哀れに思い、そして主人に絶望し、首を吊った。

それを知ったお綱は逆上し、二人の子供を殺して、
腰に子供の首を入れた風呂敷を巻き、夜の街を本宅に向かった。

しかし、明石は留守で、第二夫人しかいなかったので、
第二夫人に斬りかかったが、果たせず、

留守を預かっていた浪人の浅野というものに斬られ、眉間と腕を斬られた。
 

それでも明石のいる城に向かって進んだが城の東御門のところで、
門が閉まっていたため土塀に飛びついたところで絶命した。

明石はその一年後、熱病で死に、浅野はある時、盗人の疑いをかけられて処刑された。
 

その絶命した東御門はお綱門と呼ばれ、

現在は無いが触ると熱病にうなされるうわさが絶えなかった。
そしてお綱と子供を供養する祠が建てられた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 黒田騒動、黒田忠之

 

 

 

ごきげんよう!