種子島久時☆ | げむおた街道をゆく

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慶長3年(1598)11月、唐入りの諸将は、太閤秀吉の死去に伴い、撤退を開始したが、
順天城に閉じ込められた小西行長を救うべく、

島津義弘を中心とした救出隊が組まれた。

包囲軍が救出隊の迎撃に回ったため順天城の封鎖はゆるみ、行長は脱出に成功したが、
救出隊は帰路に露梁津で、李舜臣率いる大規模な水軍と交戦する事態に陥った。

必死に防戦するも、朝鮮随一の海将の前に、続々と味方の船が座礁する、不利な戦況。
 

そんな時、折悪しくも義弘の船は潮に流されて、敵の船へと近づいて行った。

もはや敵船は乗員の顔が分かるほど近づき、甲板にはこちらを確実に拿捕すべく、
引っ掛けるための鎖鎌を振り回している者までいる。

樺山久高、

「くそぉー!『鬼石曼子』とまで恐れられたワシらが、海の藻屑と消えるんかー!」
「要は、敵を近づけなければ良いだけのこと。 ここは私の出番ですね。」
 

久高、

「お前は、種子島久時!」

久時は愛用の鉄砲を構えると、船の揺れにもかまわず、敵船に向けて次々に撃ち放った。
弾はことごとく鎖鎌を振り回していた者のみに当たり、ひるんだ敵船は離れて行った。

島津軍の帰国後、太閤検地で薩摩・知覧へ所替えを命じられていた久時は、

功績により先祖伝来の地・種子島を取り戻すことができた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 島津家臣団

 

 

 

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