加藤清正が、朝鮮に赴いている時に、
その跡にて薩摩人の梅北国兼が肥後の地を侵掠した。(梅北一揆)
境善左衛門は熊本に留守居として佐敷城に居たが、肥後の国衆は多くが梅北に従い、
兵勢いよいよ盛んであった。
境はこれと戦っても力で匹敵することは出来ないと判断し、
一旦偽って梅北に降伏する体にして、
彼を刺し殺そうと思い、城を梅北へ渡した。
梅北は入城したが心許さなかった。
そこで境は、
「今日より臣令を取るの始めなれば、祝詞のため御盃を頂き候はん。」
と、梅北を饗した。
この時、梅北の心を和らげようと、酌取りに美女を出した。
梅北先ず飲んで、境にさし、座を立って肴を与えた。
境は、「かねてこの時斬ろう。」と企んでいたが、
その威におされたか、手出しできずに座に帰ってしまった。
しかし、
「この時を過ぎては叶わじ。」
と思い、短刀を抜き飛びかかり、梅北を刺殺した。
その場にあった者たちは手々に刀を抜き放ち、境に斬ってかかろうとしたところを、
境は目をいからし声を励まし言った。
「汝等狂せりや!?
梅北は賊である。彼に属するのが本意であるのか?
私と心を同じうして、彼が与党を討てば、清正はお前たちの咎を宥し、これまでの非を改め、
むしろ賊を討つの功を賞せられるだろう。
これを拒否すれば、秀吉が汝等の三族を梟首とするのに数日とかからないだろう。
汝等は、わきまえないのか!?」
これを聞いて、皆、境に同意し、梅北の手の者たちが逃げるのを追いかけ切り伏せ、
この乱を鎮めた。
境善左衛門の知行は、それまで二百石であったが、清正は後に十倍の二千石を与えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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