秀吉亡きあと、前田利家が他界すると、上方での情勢が慌ただしくなってきた。
誰もが戦が起きると感じ取っていた。
しかし、その頃の島津義弘の在京兵力は、わずかに200人ほど。
「義弘が、京で兵がなく困っている。」
という事が口コミで伝わり、
なんと義弘を慕う家来たちは陸路を京へと走り出したのだった。
その時、中馬大蔵は畑にいて甲冑を着て走る者を呼び止め、その話を聞くなり、
その者の甲冑を奪い、走り出した。
大蔵は九州統一のころから、朝鮮出兵にも義弘軍に従軍し、
非常に義弘を慕っていた。
このように、陸路を走って、関ヶ原の合戦の開戦の前に着陣した者は1000人ほど。
そして、大蔵が着陣すると義弘は、
「大蔵は、真っ先に来てくれるだろうと思った。」
と涙まで見せたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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