関が原の戦いの時のこと。
いわゆる『島津の退き口』の際、島津義弘は福島正則の陣中を横切った。
百戦錬磨の正則は、死兵と争う愚を避け、家臣に深追いを禁じたが、
正則の養子・正之など一部の将は、これを猛追した。
中でも穴沢某なる武者の勢いは凄まじく、
大長刀をあたかも小枝の如く右に薙ぎ、左に払って道を作り、
義弘目がけてまっしぐらに迫ってきた。
「あれは尋常の武辺者ではない。大蔵、お前で無ければ相手になるまい。征けっ!」
「承った。」
義弘の指名に一言で応じた中馬大蔵少輔壱重方は、
前線に飛び出ると自慢の強弓を番え、
「来い!」
と、穴沢に呼びかけた。
「おい、本当に向かって来たぞ。中馬殿、早く矢を射ぬか!」
「まだまだ。」
同僚の心配する声をよそに、中馬は微動だにしなかった。
「中馬殿!」
「まだ!!」
もはや穴沢の顔がハッキリと分かる距離になっても、中馬は矢を射ようとしない。
ついに目前に迫った穴沢は、大長刀を一閃させ、中馬の弓を真っ二つに斬り折った。
と同時に、穴沢はバタリと倒れ伏した。
その胸板には、中馬の放った矢が深々と突き立っていた。
実はこの零距離弓術こそが、『良き敵』のみに使用する中馬大蔵必殺の技であり、
彼は戦に臨んで矢を二筋しか持って行かなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!