永禄11年(1568)12月、愚谷軒日新斎こと、島津忠良没す。享年77。
島津宗家を巡る内紛を鎮め、「いろは歌」等による教育を推し進め、
優秀な孫や家臣団を育て、
「島津家中興の祖」と言われる男の逝去。
ある者は哭涙し、またある者はその死を悼む歌を詠んだが、
島津貴久の詠んだ歌は、少し違った。
つくづくと 思ふに少し 慰むは 乱れぬ人の をはりなりけり
皆が「偉大な日新公」の死を惜しむ中、
実子の貴久だけは「人間・島津忠良」の、
畳の上での穏やかな死に安堵していたのだろうか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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