島津貴久が、薩摩を統一し、大隈の統一や日向進出も夢ではなくなり始めていた頃、
隠居の島津日新斎は、伊東氏に和談の使者を送り、口上を述べさせた。
「両家の合戦はいつ果てるともなく続いていますが、
近ごろ伊東義祐殿は隠居なされたと聞きました。
私も隠居の身です。
この上は和睦いたしましょう。」
使者は義祐に目通りが叶い、馳走を受けて帰された。
伊東家では提案を受け入れることが決まり、
今度は伊東家から返答の使者がやってくる。
ところが日新斎は、鹿児島に到着した使者と会わなかった。
家臣の伊集院"鶴の吸い物"忠朗に接待を命じたのである。
伊集院は使者にこんな口上を述べた。
「伊東殿は人数を損ずるのもお構いなしに、あるいは城攻め、
あるいは野戦を望まれるようですな。
島津は違います。
当家は一人が死ねば万人の憂いと思いますから合戦は好まないのです。
こうして裃を着て国を治めております。」
幸い使者が騒ぎ立てることもなく、この和談はひとまず無事に成立する。
この後、使者は坊津一乗院へ案内され、3日滞留したが、
そこの僧侶がひそかに耳打ちした。
「日新公が何を言ったか知らないが、
薩摩は武略をもって国を治めます。
油断するなと伊東殿に言いなさい。」
ちなみに最初の使者が来たとき、伊東義祐は家臣にこう言ったという。
「島津の謀略だな。そろそろ日向を攻めるつもりだろう。」
日新斎が義祐に持ちかけた和睦の真意は、宣戦布告にあったのかもしれない。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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