永禄11年4月上旬、佐賀関に28歳位の禿(かむろ)が来た。
髪は長く、容姿端麗、変わった身なりだったため、
どこかの公家殿の上人ではないかと噂された。
男は学識豊かであったため、春日神人という富貴の巫女が興味を持ち男を住まわせ、
神道や歌道や源氏・伊勢について講義させた。
巫女が男に素性を尋ねたところ「聴好(あきよし)」とだけ言った。
しばしば行方をくらましては数日後にやってくるため周りも怪しんだが、
沈香・麝香の香りをたたえ、憂いを含んだ眼差しをしているため不信は消えてしまった。
佐賀関の代官から、この男の話を聞いた臼杵鑑速は、
「近頃、大内義隆の領地を継いだ毛利元就が九州にも手を伸ばそうとしていると聞く。
もしかすると容姿端麗な者を間者として潜入させ、
宗麟公に取り入ろうとしているのではないか?
早々にこの者を誅すべきである!」
と疋田次郎左衛門尉に申し付けた。
疋田は理由を知らせず殺すのもかわいそうだと思い、
「太守(宗麟)の命令で誅伐する。」
と述べたところ、聴好はおどろかず、
「理由は知らぬが太守の命令であれば仕方ない。」
と、
「朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ」
というような内容の詩を書き、
「本望を達せられなかったか。」
と髪をほどき、首を疋田に差し出したため、疋田は仕方なく首を刎ねた。
周りのもので涙を流さぬものはいなかった。
本望というのはおそらく宗麟公に近づき籠絡する計略だろう。
鑑速は思慮深いことであった。
その後、聴好は祟り神となり近隣を悩ませたため、春日神人は聴好の宮を立てて崇め奉った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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