大友親盛☆ | げむおた街道をゆく

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国王(大友宗麟)にパンヤリヤン Pantaliao というキリシタンの一子(大友親盛)が有る。

 

彼は年齢16歳で、
彼の父の兄弟である叔父(田原親賢 / 紹忍)の嗣子となった。

この田原親賢は、先年報告した通り、養子のシマン Simao (田原親虎)が、

キリシタンと成ったため、これを廃嫡した人である。

ドン・パタリヤンはキリシタンと成って既に4年であるが、

思慮深く性質も良く、殊に良きキリシタンであるため、王は甚だ彼を愛している。

 

この人については長く報告することも出来るが、簡略にするため2,3の事を述べる。

 

彼は臼杵より4日路の城に居て、その叔父が承知しないため、

わずかに4,5人のキリシタンの家臣が共に居る。

叔父の妨害は甚だしいが、一層信仰を固くし、

しばしばパードレ、イルマンたちに書簡を贈って、

常に彼のためデウスに祈ることを請い、その信仰については、

これを捨てるならその前に死する覚悟であることを、我々が疑わないようにと願っている。

 

彼の求めに応じてパードレ一人が告白を聴きミサを行うため同地に赴いたところ、

彼の喜びは甚だしく、寸時もパードレの元を去らず、

デウスが天使を降ろし給うた思いがすると言った。

 

復活祭の日は多数の異教徒に囲まれていて城を出ることが叶わなかったため、
キリシタンの家臣を集めて、立派な祭壇を設けて一同祈祷を成し、

諸人の頭には薔薇の冠を置き、頸にはロザリオを懸けた。

終わって彼等を饗応し、貧民に食物を与えた。

付近の異教徒の貴族が彼の居城に来た時、彼に金の屏風を贈った。

屏風は内部に木を用い、紙を合わせて作った物で、

日本人が部屋の壁掛けのような目的で使っている。
 

この屏風には異教徒たちが喜ぶ絵が描いてあったが、彼は難しい顔をしてこれを見、

他の点では甚だ立派で高価なものであったが、その面前でこれを焼かせ、使者には、

「キリシタンは、このような卑しむべきものは見ない。」
と言った。

彼は臣民がキリシタンと成ることを非常に希望している故、

デウスの御恵により彼等の君主に成った時には、
必ず皆洗礼を受けること疑いない。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 大友家臣団

 

 

 

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