豊後国石垣原の合戦の時、大友修理大夫の味方、筧の城主・吉弘加兵衛尉という侍が、
黒田如水入道の備へ物見に向かったが、
如水の郎党・井上九郎左衛門と渡り合うことになり、討死を遂げてしまった。
里人は後に、石垣原の近所の別府という所の浜に石塔を立て、
吉弘加兵衛尉と書き付けて安置した。
 
加兵衛尉は名高い武士であったので、心ある侍はこの石塔を拝しながら通ったという。
一方、近所の人たちは、瘧(おこり)で震えが止まらなくなると、
塩垢離(しおごり)をとり、洗米やお神酒などを供えて、石塔を拝した。
 
すると、瘧はたちまちのうちに治ったそうだ。
後に、加兵衛尉の子どもがこの話を聞いて別府に行った。
そして、父の石塔に向かって語りかけたのである。
「父上! 手向けられた洗米や神酒のせいで、
墓所がめちゃくちゃ見苦しいことになっているではありませんか!
今後は、手向けなど取らず、塩垢離のみで本復させるようになさってください!
さもなくば、瘧を治すようなことなど、一切お止めになってください!」
それ以降も瘧治しの御利益は続いたが、
息子の言葉通り、塩垢離をとるだけで治るようになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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