志賀親次は、薩摩人が攻め来たるに及んで、向かえ戦い、偽って三度敗走した。
これにより薩人は、親次を怯しとして、戦いに及んでも備を整えることなく、
ただ競い乗り進み撃つようになった。
ここに於いて親次は、兵を3つに分けて、
薩人の攻め来る通路の山間の樹林に伏せさせた。
そして、このように命じた。
「薩人が敗れ逃走する時、一組は前を遮り、一組は中を絶ち、一組は山の半ばに備えて、
鼓を打ち、声を上げ敵の気を奪え。」
一月ほどして薩人は攻め寄せてきた。
元より親次を侮っており、深く攻め入り猥りに戦った。
しかし親次は守りを固くして動かず、薩人は攻略することが出来なかった。
そして彼らの勇気がたゆむ所を、親次は見て取ると、
各所の民家や藪陰より足軽五十三十に、下知人の騎士を加え、方々より打って出た。
親次は静かに旗を進めると、薩人たちまち裏崩れして逃走した。
この所に伏兵起きて前を遮り、薩人はこれに当たろうとすれば、
又伏兵起きて中を絶つ。
山では鼓を打って声を上げれば、その響き夥しく、
薩人は大いに敗れて、後ろも顧みず散り散りに逃げた。
この戦いで志賀親次は、首級三百八十余りを得たという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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