天正15年(1587)、生駒雅楽頭正規(親正)は、
讃岐国を賜り、当国に入部なさった。
まず引田の城に入り給い、その後に国の中區なので、
鵜足郡聖通寺山の城に移り給う。
正規曰く、
「国中に在来する所の城々は皆乱世の要害であり、治平の時の居城の地にあらず。
平陸の地を設けて居城とすべし。」
と、その地を求めなさったところ、香川郡笑原の郷に究竟の地があった。
正規は、この所を見立て地形の吉凶を占おうと相者を召された。
安倍晴明の遠裔・安倍有政という者がいた。
これは乱世の相者だが京学でホギに通じ、文才あって占に優れた。
近来は香西氏に許容されて山端村にいた。
この占者を召して吉凶を問われた。
相者は卜を布いて曰く、
「この地は富貴繁昌ともに備わり、四神相応の地と言えましょう。
しかしながら、地祭をなして吉凶を定めなさるべきかと存ずる。」
と言った。
問者の曰く、
「何の障りがあるのか。」
有政、曰く、
「土地の名を目出度く改めるべきかと存ずる。
その謂われは、聖通寺より野原(地名)へ出給う時は、その詞は凶である。
聖寺より通して野原に出ると読むなれば、
野原の名を改めて目出度き唱えの名になされるが、しかるべし。」
と申し上げた。
これを正規はもっともとされ、東の方高松の名を取って城の名とし(高松城)、
古高松は波の寄せ来るところなので“寄来村”と名付けなさったのである。
さてまた右の陰陽師有政には地祭を仰せ付けられ、天神地祇を降拝して如在の礼奠をなし、
衆人は囲繞渇仰して地祭が済み、正規は喜悦なされ、
有政には数々の引出物を得て目出度き祝詞は整ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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