秀吉公は、秋月氏居城の古処山城を、生駒親正に御預けになられた。
親正がたいそう険しい古処山に乗り上げると、西国武士どもは驚き、
「馬に鳥が生えて白い轡をはめ、鳥も通わぬところを通るとは、稀代のことだ。」
と口々に言った。
これは乱世により、諸国から九州に、馬面・馬鐙・白轡の進呈がなく、
九州の者どもが、それまで知らなかったためである。
秀吉公は秋月の東北の荒平に陣を敷き、二日逗留して仕置きを申しつけ、肥後へ出発された。
鍋島直茂ら九州の軍勢が先手を勤めたが、西国衆のいでたちは、はなはだ見苦しかった。
また指物を請筒(受け筒)に指すことを知らず、縄で背中に指したり、
肩にかたげたりする者も多かった。
それを見た上方勢が手を打って笑ったため、直茂が秀吉公に申しあげたところ、
秀吉公、
「そのように上方勢が国ごとのならいを知らずに笑うことこそ不覚である。
今後そのようなものがいれば罰しよう。」
と戒められたため、以後笑うものはなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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