ある日、長宗我部国親が、婿の本山茂辰に書状を出した。
「実は、わしの妻が嫁に出した娘に会いたいと言っておる。
わしも一度ムコ殿にあいさつしたいと思っているのだが、
周りがうるさくて、公式には出かけられそうもない。
そこで妻と輿に乗って忍んで参りたいが、ご都合はどうだろうか?」
信長と道三の逸話にもあるように、政略結婚の多いこの時代、
暗殺等を警戒して舅と婿が会わない事もあった。国親の書状を見た茂辰は、
「よくぞ本山家を信頼して下さった。
そういう事なら、重臣たちにも知らせぬようにして、
お会いいたそう。」
と、これを受けた。
国親が、茂辰の城に来た当日は、人を遠ざけて宴が設けられ、翌日は能の興行が催された。
能の最中、国親の妻の侍女が陪席していた本山家の家臣の名前を、
側にいたお局に聞いて書き留めた。
「さて、明日のお慰みには、何を致しましょうか?」
茂辰が聞くと、
「このような席には似合わぬ申し出だが、相撲見物が見とうござる。」
国親が答えた。
ただちに高札が立ち、本山領内の腕に覚えのある者たちが集められた。
当日相撲が行われると、また国親の妻の侍女がお局に、
「本山さまの直参の侍はあのうち、どなたでしょう?」
と聞いて回った。
全てを聞き終えた侍女は、含み笑いをした。
「希代の幸せかな!」
実はこの侍女こそ国親の変装で、滞在中は影武者と入れ替わりずっと女装していたのだ。
岡豊に帰った国親は、
「さてさて、あの城の普請は驚くばかりだ。
その上、家臣どもの家構えも結構なものだった。
しかし、書き留めてきた侍どもは、
当家の大身・小身いずれと比べても、器量が勝った者は家老の吉井修理の他にいない。
それゆえ、いつ本山と合戦になっても恐れる事はあるまい。心安く思っているように。」
そう重臣に語ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!