天文十三年(1544)、二月五日の夜、子の刻(0時~午前2時)の頃、
土佐は長宗我部国親の居城・岡豊において、不思議な事が起こった。
この城中には周囲一丈余り、高さ十余丈という、
どれほどの春秋を経たかわからない、巨大な楠があった。
類稀なる楠であると、岡豊城の名物であったのだが、
この時、風も無いのに、この楠が、中ほどから折れて倒れたのだ。
城主・長宗我部国親は、これはいかなる凶瑞を示すものかと、
天文卜占に詳しい池澤何某と言う者を呼び、これに対する解釈を聞いた。
池澤、畏まって申し上げるに。
「このことを、今、文字から判断いたしますに、楠と言う文字は『木』に『南』と書きます。
『木』と言う文字は『東』に通じます。
しかればこれは、『東南の方が滅びる。』と言う瑞相であります。
今は春半ばの季節で、本来であれば東南の運勢が元も強くなる頃です。
それがこのように倒れるという事、
これすなわち、天の与えたもう時が来た、と言うことです。
時節は到来いたしました。
殺伐の気を得て、西北より東南に討ちかかれば、
敵は木の葉のように散り失せるでありましょう!」
これに国親は大いに喜び、池澤に、即座に褒美を与えた。そして、
「池澤の言った事を考えるに、あれには全く、恣意や憶測は入っていない。
あの言葉は間違いなく、八幡大菩薩が我が長宗我部家の復興を示し給うたお告げであろう!」
そこで吉日良辰を選び、八幡宮において臨時の祭礼を行った。
その日は国親を始め岡豊の老若男女悉くが八幡宮の庭上に群集した。
そこで神楽など奉納していたが、そのうち群衆の中にいた12,3ほどの少年が、
突然、飛ぶとも走るとも知れぬ動きで社殿まで駆け上がり、叫んだ。
「我は八幡大菩薩である!
我をこの地に勧請して上下が深く信仰する事、喜びに耐えない。
また、我はお前達を守らずには置かれないだろう。
その中でも国親!
お主は常に父の敵を討つ事を日夜考え、寝食すら忘れるほどの志、
まことに不憫の至りである。
が、今や家を興す時節到来せり!
我はそのことを楠の奇瑞で現し、池澤の口から言わせたが、
国親は正しくこれを理解し、この臨時の祭礼を行った。
急げ!
南方より初めて、四方に馬を出すのだ!
我はお前の軍に付き添い力を貸すであろう。
見よ!
国親の向かう所、従わずと言う所は無く、攻める所攻め込めない場所は無い!
行く末もまた守るであろう。
頼もしく思え!」
そうして四方を見回すと、この童子は庭上に降りてぱたりと倒れた。
しばらくして起き上がったが、自分が何をしたのか、全く覚えていないという。
国親は余りのありがたさに涙を流した。
これより、国親による長宗我部家の拡大が始まったのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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