金子備後守を始め家臣一同が山上で花見をしていた。
そして宴もたけなわになった頃、
数人の若い者が山の中からイノシシの子を生け捕りにして、備後守の所へ持ってきて、
「殿、イノシシの子を捕らえてきました。子供ですから肉も柔らこうございます。
さっそく調理いたします。」
というと、居並ぶ家臣たちは、それはよいご馳走だと喜んだ。
ところが備後守は顔を曇らせて、
「そのような可哀想なことはしないでくれ、どうかそのイノシシの子を助けてやってくれ。
余は亥年の生まれである。」
といった。
そしてイノシシの子をもとの所へ逃してやりに行った。
ちょうどその時、四、五歳であった備後守の長女カネ姫も家来に連れられて、
一緒について行った。
命を助けてくれたイノシシの子は、木立の中に走って行った。
すると数匹の親、兄弟のイノシシが出迎えに来ており、一緒になり、
十歩行っては後をふり向き、二〇歩行ってはふり返りながら木立の中に帰って行った。
時は流れて天正十三年(1585)7月14日、秀吉の四国攻略に対して、
土佐の長曽我部と同盟の義理のため、十倍に余る秀吉軍を相手に戦った金子城もついに落城。
当時十六歳になった美しいカネ姫は、家来の守谷一族に守られて、
金子山伝いに土佐へ落ちようとした。
しかし敵が追いかけて来て、守谷一族も次から次へと斃れていった。
とうとうカネ姫一人になった。
「あれは金子の姫だ、早く捕まえろ。」
といいながら敵が追いかけて来た。
もうだめかと思ったその時、木立の中から数匹のイノシシが牙をむいて、敵におそいかかった。
思いもよらぬ出来事に敵がとまどっている間に姫は危機を脱し、
無事土佐へ逃げることができた。
しかしイノシシ達は殺されてしまった。
土佐に逃れたカネ姫は、長曽我部氏に優遇され、また山之内氏の時代になって、
奥女中の取締り役となり、八〇歳の高齢を保った。
またカネ姫が逃げる時、身に着けていた衣装や被っている笠が、
木立に引っ掛かって取れなくなったことから、
後世の人は衣笠山と呼ぶようになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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