天正九年秋、義統は大友家に反目する彦山を襲撃する。
かつて大友氏の監視下にあった彦山だが、この頃は秋月種実との関係を強めていた。
義統は嗣子に恵まれない十四代座主・舜有の後嗣に、
自身の弟を押し込もうとしたがこれを嫌った舜有は、
娘婿・秋月種長の子を後嗣にと取り決めたことで、
義統の狙いを封じた。
そして義統への返答として彦山は義統の使者を殺害する。
これに激怒した義統は清田鎮忠と上野鎮俊を大将に、
彦山を滅ぼすべく日田郡へ陣を進めた。
清田上野の両将は、まず彦山に降参勧告を行ったが彦山は拒否し戦いになる。
秋月さらには龍造寺の援軍を得た彦山は一歩も引かず善戦したものの、
激戦の末に大講堂を占拠した大友勢は一山の宗坊悉くに火を放つと、
彦山は一宇も残らず炎上した。
この時、山伏二人は、
「大友七代までも怨霊とならん。」
と罵り腹掻っ切り火中へ飛び込んだ。
こうして一ヶ月に及んだ大友の彦山襲撃で彦山は大きく勢力を失った。
しかし彦山はその後も秋月氏さらには龍造寺氏と連携して、
反大友軍事同盟を結成し戦い続けることになる。
さらには秀吉の九州征伐時には島津氏とも連携し豊臣(&大友)勢とも戦うが、
最後は衆寡敵せず豊臣勢に降った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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