大坂の冬は寒かった。
12月に和議も成りひとまずはやれやれ。
でも後片付けが大変、大坂城の西、船場方面の鰻谷橋の前のわが陣所、
各大名家の荷駄が入れ乱れてのてんやわんや、大忙し。
橋を渡って、城から一人の武士がこちらにやって来ました。
よく見ると、かって知ったる毛利勝永殿ではありませんか。
四国で別れて以来です。
毛利殿、
「いやあ、山内殿にはすっかりと世話になった上に、
こっそり大坂に入城致しまして、山内殿に大迷惑をおかけしました。
そのお詫びに参りました。」
と、頭をかきかき、ばつの悪そうな顔。
和やかにお互いの息災を確かめあったのです。
私が、
「ところで毛利殿、家康様に会っていきませんか、
丁度今から私もご挨拶に伺うところだったのです、
きっと懐かしがるでしょう。」
というと、
毛利殿、真顔になり、
「いやあ、それは止めておきましょう、武門のならいとはいえ、
関ヶ原で寛大なご処置を頂いた家康様には、ほんと会わせる顔が無いのです。」
といって、すたこら去っていきました。
それが最後の分かれと成りました。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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