大坂夏の陣で、大坂城の落城後、
大規模な略奪、人狩りが起こったこと、これは有名である。
が、幕府は人狩りに関しては、
『戦場となった地域で人を略奪するのは捕虜ということで仕方がないが、
戦場区域以外で略奪した人間に関しては、無条件に開放せよ!』
と言う命令を出した。
この人狩りに感しては、大坂の陣に参戦したほとんどの大名が行っていたが、
特に一人の大名が問題になっていた。
阿波国主、蜂須賀至鎮である。
蜂須賀家は夏の陣においてなんと、男女あわせて170人もの人間を略奪していたのだ。
『戦場から略奪したというだけでは、いくらなんでも多すぎる。
規定外の人間は直ぐに開放せよ!』
こう迫る幕府に、至鎮は一冊の書類を提出した。
「これをご覧ください。」
「…これは!?」
何とその書類には、略奪した男女全員分の「住所」が書かれていた。
ご丁寧なことにみな、戦場区域内であった。
「これこのとおり、我ら蜂須賀家が略奪した男女は、全て合法でござる!」
その書類に書かれた「住所」が本当であるかどうかはかなり疑わしい。
が、至鎮は幕府がこの件で何か言ってきた時のため、予めこのような物を作っておいたのだ。
いかに幕府であっても、大名から直々に『証拠』を提出された以上、
それ以上、詮索するのは難しい。
「お疑いも晴れましたようですので、それでは。」
さすが、『阿波の狸』の子も狸である。
蜂須賀至鎮、人狩りへの申し開きのお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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