蜂須賀阿波守(至鎮)の臣・中村右近(重勝)は、夜討の時に討死した。
十五歳であった稲田九郎兵衛(植次)が、右近の首を取り返した。
右近の子は(後には美作守と号し)そのとき十一歳で、幼少だったので在国していたが、
組子守りの為在所から呼び迎えられた。
阿波守と対面すると右近の討死の事を申し立てた。
かねて阿波守は右近と懇意にしていたから事情を話すと、
「首を晒される事は、武士の本意です。
どうしてその首がここにあるのですか!
犬死をしてしまったということですか!」
と弁舌明らかに申した。
阿波守は聞いて、
「誠に虎の子は乳を飲む時より百獣をのむ気があるものだ。
心配しなくともよい。
右近の首は稲田が取り返してきたからここにあるのだ。
右近の働きは比類なかったぞ。」
と重ねて言うと、そのときにやっと合点した顔つきとなったそうだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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