大坂冬の陣、野田・福島の戦いの後のこと。
豊臣方は戦線を縮小、大坂城へ籠城し敵を迎え撃つ事を決め、
舟場方面を焼き払い、煙に紛れて撤退を開始した。
これを見た徳川方備前勢は煙にまぎれて付け入ろうとしたが、
花房助兵衛に、
「豊臣方には後藤又兵衛という戦巧者がおり、このような時は必ず伏兵を敷き、
煙の向こうでは鉄砲を並べて待ち構えているだろう。」
と止められた。
兵達は老将の言を聞きいれ追撃をあきらめたが、
実際に伏兵は居たのかどうかを和睦となったおりに、
又兵衛に会い聞く者がいた。
すると又兵衛はあの舟場の戦のおり、
「備前勢が必ず追撃してくるから、
若侍達はこれを待ち伏せして功名を上げるとよい。」
と言って、言葉を信じた者達と待ち伏せしていたという。
しかし敵は来ず、
「又兵衛殿もいい加減な事を言う。」
と味方に嘲られたが、
又兵衛は、
「まあ観測違いも戦にはありがちなものよ。
備前勢が来なかったのは、
花房助兵衛がまだ生き長らえているからだろう。」
と返していたと言う。
この話を聞いた人々は二人の老練な将の見識を褒めたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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