関ヶ原の戦いの時、返答が悪かった武将のお話。
石田三成らが西軍として蜂起し各国の大名が、
東軍、西軍どちらにつくか不明瞭な状態であった。
家康は佐竹家が西軍に味方するか否かを佐竹家に蟄居させられていた、
花房職秀に問うた。
職秀は、
「おそらく来ないでしょう。」
と答えた。
家康は、
「起請文を書け。」
と言ったが、
職秀は、
「男が言ったことゆえ、文章にする必要は無い。」
と断った。
家康としては諸将の動揺を抑えるため職秀にそう命じたのだが、
それが当時の彼には分からず、
家康は職秀を、
「武勇に誉れ高いが、大した武将ではないな。」
と断ずる。
そのため戦後、職秀には8千石の領地を与えられたが、
職秀は、
「名将に仕える人間は一言にも気を遣わなければならない。」
「あの時愚かな返答をせず起請文を書いていれば、今頃俺は大名にもなっていただろうに。」
と悔い、大名を目指し、
病身であったが、大坂の陣にも参戦し、板輿に乗って指揮したと伝えられている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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