明石掃部(全登)といえばキリシタン武将として、大坂の陣で活躍したことが有名である。
その明石掃部には、レジナと言う娘があった。
彼女は大変聡明な女性であり、父からも子供の中で最も愛され、
大坂城にも父とともに入城した。
城内では淀殿から大変可愛がられ、ゆくゆくは一廉の領主と結婚させよう、
と言われるほどであった。
慶長20年(1615)5月7日、大坂城陥落。
幕府方の兵が乱入し、レジナを見つけると暴行を働こうとした。
レジナはこれに、命がけで激しく抵抗した。
そうしているうちに幕府方の兵の中から、
「お前は何者か。」
と聞かれ、
「私は明石掃部の娘である! 私を大御所様(家康)のもとに連れていきなさい!」
そう答えた。
兵士たちは彼女の要求を聞きとどけ、家康の元へと届けた。
レジナの事を聞いた家康は彼女と対面した。
家康はレジナの気高い態度にすっかり感心し、それを大いに褒め称えた。
彼女のことは異教徒の間でも評判となり、彼らはキリシタンを賞賛した。
そして家康は彼女の身柄を、家康の側室の一人である”オカモ”という女性に預けた。
その側室や周りの人々も彼女の態度、振る舞いに感心し、丁重に扱った。
大坂の陣の戦後処理にめどが付き、家康が駿府に帰るという時に、
家康は再びレジナと対面した。
家康は彼女に、その父で戦後行方不明となった明石掃部の行方について尋ねた。
彼女は、「時分は屋敷の中に居たので解らない。」と答えた。
また自分の兄弟は5人いるが、そのうち一人はキリスト教の修道士になった、
ということも答えた。
彼女は家康の前でも落ち着き、誠実に答えたので、
その姿は家康の側近たちも賞賛するほどであった。
質問を終えると家康はレジナに、
「そなたは今後も、キリスト教への信仰を持ち続け、
父である明石掃部の霊魂のため祈りを捧げるように。」
と言って小袖一枚と銀子を与えた。
その上でさらに、
「そなたが自由に、どこにでも行く事を許可しよう。
もし北政所の所に留まりたいと思うのなら、私がその斡旋をしよう。」
とまで言った。
しかし、レジナはこれに、
「私は恵まれない環境に身を投じることこそ、
キリシタンとして神への純潔を守ることが出来るのだと考えています。」
と答え、その申し出を断ったのだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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