堀尾吉晴は、十六歳より従軍して、四十年あまりの間に大小の戦に臨み、
自ら先駆けて多くの敵を討つこともあれば、士卒を下知して城を落とし、
陣を破ることもあった。
しかし、吉晴はそれだけの武勇がありながら深く慎み、
子息にさえ己の武勇を詳しく話そうとはしなかった。
それでも自然と世に知られた高名は、二十二度といわれる。
ある人が吉晴の子・忠氏に、吉晴の武功について尋ねた。
忠氏は父の武功に、
ついて詳しく知らなかったので答えなかった。
この時、その人が、
「この道の嗜みがないから、知らないのだな。」
という様子だったので、忠氏は深く恥じて、
吉晴に大坂貝殻塚を一人で取った時のことを教えて欲しいと言った。
吉晴は答えなかったが、
忠氏が他人にその道を好まないのだと思われたくない一心で重ねて尋ねると、
ようやくあらましを語った。
親子の間ですらこのようであったから、他人に語ることはなおさら無かった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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