源助という足軽が☆ | げむおた街道をゆく

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松江大橋の人柱。

松江城築城にまつわる人柱伝説。
関ヶ原の功で雲州に入った堀尾吉晴は、月山富田城に入ったものの、

城下町形成の為平地にある亀田山の末次城(現松江城)へ本拠地を移城する事を決意。
 

月山富田城を解体して資材を運ぶには大橋川を通らねばならなかったが、

当時はカラカラ橋と呼ばれる竹造りの小さな橋しか無かったので、

木造の大きな橋を架ける事になった。
 

が、洪水や事故などの為工事は難航し、例によって人柱を立てる事に。
 

人選はこの翌日、一番に橋を渡る者で、

マチの無い袴をはいた男(横縞の継ぎをした袴という説も)を人柱にすることと決め、

その日の朝に運悪くその姿で橋を渡ったのが、足軽の源助だった。
 

源助は捕まり橋脚の下に埋められ、その甲斐あってか橋は完成。

その後、大橋の中央の橋脚を「源助柱」と呼ぶようになったという。
 

また異聞もあり、人柱を立てる事が決まり人選について皆が悩んでいた際、

源助と言う足軽が、
「明日、下駄を履いて橋を一番に渡る者を人柱としよう。」
と提案。

翌日、その姿で真っ先に橋を渡ったのがこの源助当人で、

彼は誰もがなりたがらない人柱の役を、自ら引き受けたとも言われる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 仏の茂助、堀尾吉晴

 

 

 

ごきげんよう!