能にはまる☆ | げむおた街道をゆく

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大坂の陣後、福山藩を手に入れた水野勝成は、
福山城を造築した際、廃城した伏見城からも資材やら、

分解した建築物を運んで、
福山城の建築に利用した。

その時一緒に、ある貴重な物も福山城に持ち込んだ。
それは能舞台である。

能舞台と言っても、ただの能舞台ではなく、
かつては秀吉も使ったとされる、貴重な組み立て式の能舞台であった。

そんな能舞台を、秀忠から、
伏見城にあったものだからと言うので、勝成は拝領したのである。

当然、勝成も大喜び。
そう勝成もまともな武士であるから、幼いうちから教養としては身につけており、
能にはひとかたならぬ思いがあったのである。


こうして、能舞台を拝領してしばらく後のこと。
勝成は当時の能楽の名人の喜多七太夫の息子・寿見を自分のところに呼んだ。

呼び寄せるからには当然理由があって、
勝成は能舞台で、この寿見に能を演じて貰いたいからであった。
演目は「道成寺」であった。

これに対し、寿見は、
「道成寺」をこの場で演じるには難しいと言った。

演じる為には、周りの者との熟練の呼吸が必要で、
周りの者つまりは「勝成の家臣」の鼓で、
舞うのは嫌だと暗に諭したのだった。

これに対して勝成は相当キレたらしく、
寿見はすぐに夜逃げして福山から離れた。

頼んだ事を断り、なおかつ夜逃げという失態。
こうなると後が怖いので、
それを知った寿見の父親の当代一の名人・喜多七太夫は、
息子の後始末のために、異例とも言える遠路はるばる福山まで足を運び、

「道成寺」を演じる謝罪の講演を行い、勝成はご機嫌を直したとされる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 倫魁不羈、水野勝成

 

 

 

ごきげんよう!