元和5年(1619 )、備後福山十万石の大名となった水野勝成は、
上水道の整備、城下町の建設、
産業育成と、福山の発展のため八面六臂の活躍をし、
流浪の暴れ者であった若い頃の面影はどこへやら、
名君として領民から深く慕われた。
ある人が勝成に、
「勝成様の施策は、大名でありながら下々の者のことを、
よく考えた上でなされているように見えます。
どうしてそのように下々の者達のことを、理解しておられるのでしょうか?」
と、尋ねた。これに勝成。
「俺は豊臣家を追い出されて西国を放浪していたとき、
虚無僧をやって食いつないでいたのさ。
下々の連中のことがわかるのは、そのおかげだな。」
まあその流浪の最中も野武士の頭領をぶった切ったり、いろいろやっているのだが。
ともかく流浪の苦労を経て名君となった、水野勝成の良い話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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