名にし負う古兵☆ | げむおた街道をゆく

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寛永16年、島原の乱で幕府軍が一揆を攻めあぐねる中、

幕府より松平伊豆守信綱が派遣された。
 

将軍・徳川家光は、信綱を派遣するに当たりこう仰せ下した。
「(水野)日向守勝成は名にし負う古兵である。

彼ら父子が参陣するまでは、ただ遠巻きにせよ。
合戦をして兵を討たせてはならない。」

信綱は現地に到着すると、軍を留めて勝成の到着を待った。

勝成はわざと日数をかけ、2月22日に到着した。

同24日、幕府軍の諸将は信綱の陣に集まり軍評定を開いた。

ここで戸田氏鉄進み出て、
「我らは将軍家から、相構えて兵を討たすな、謀を巡らせて城を攻め落とせとの仰せを承った。
である以上、このまま遠攻めにして城中の兵糧の尽きるのを待つべきだと考えます。」
これを聞いて信綱は、

勝成の方に向き、尋ねた。

「日向守殿のお考えを承りたい。」

勝成、
「今は天下一統の世となって、一揆の奴原に力を合わせようという者は一人もいない。
何の恐れることがあるだろうか?

ただ面をも出させず、干し殺してやるに若くべからず。
大御所も昔高天神の城を、そのように攻められたものだ。
殊にこの原城は古よりの名高き城であると、

この勝成が若いころ、鎮西に流浪した時に承っている。
あたら武士の命を、土民百姓たちのために失うというのは謀ではない!」

戸田氏鉄、我が意を得たりとばかりに、
「尤もです! 敵の兵糧が尽きるのを待つべきです!」

ところが勝成、これを聞くやいなや、
「ちょっと待ってくれ戸田殿、

私が言っているのは、今日まで遠攻めして味方を討たせないようにしたのが良い謀だ、

ということだ。」

「は?」

「城の奴原は一揆が勃興してから、100日も立て籠もっている。

ならば今はもう兵糧も矢弾も尽き果てているだろう。

であれば、この後一体何を待つというのか?
我らはただ平攻めに攻め破って、奴らを捨ててしまえ!」

こうして幕府軍は総攻めを行うことに決定したのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 倫魁不羈、水野勝成

 

 

 

ごきげんよう!