それは、曲事であるぞ☆ | げむおた街道をゆく

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大坂夏の陣が始まろうという時、二条城の徳川家康は、伏見城にある秀忠からの使い、

土井利勝と酒井忠勝が到着したのを受け、

本多正純、安藤帯刀、成瀬隼人らとともに、合戦の軍議を行った。

その日の晩、灯火をつける時分の事である。

「日向に御用がある、お城に上がるように。」
との上使が下されたので、

私(水野勝成)は早速、二条城に登り家康公に御目見得をすると、
膝近くまで寄るように、との御意なのでお側まで近づいた。

この時、家康公が仰せになったのは、
「藤堂和泉守(高虎)に一番備、並びに伊井兵部(直孝)に二番備を申し付けた。
そして其の方は大和口より押し立て、この両人とその先で合流せよ。
そのため大和衆を其の方の旗本に申し付けるので、召し連れて行くように。」

私は、これを聞いてこう申し上げた。
「去年(大坂冬の陣)、私は堀丹後(直寄)を召し連れて参陣いたしましたが、

今回も同じく堀殿に申し付けて頂けますか?」

「宜しい。丹後を召し連れて行くがいい。」

この時私は、去年の大坂冬の陣で、大和衆は藤堂高虎の麾下を仰せつかったのに、

彼らは高虎を侮り、
仕寄りの時など高虎の言うことを聞くものがおらず、

命令を聞かせても何かと我儘を言って、
少しも役に立たなかった、ということを知っていたため、このように申し上げた。

「私は藤堂高虎よりも小身であります。

であれば私の言うことを、大和衆は聞かないでしょう。
ですのでこの仰せをお請けいたしても、もし前線で役に立たなければ、

両御所様の御意に違う結果となってしまいます。」

家康公は、これを聞くと殊の外機嫌を悪くされ、このように仰せになった。

「藤堂と日向を一所にして、大和者共がとやかく申して来ると言うのか!
もし我儘を言うものがあれば、公儀の命令を心得ぬ者どもは、

一人でも二人でも踏み殺していけ!」

私はこの仰せを聞いて、家康公に直に申し上げた。
「この上は、どんなことでも御意の通りに致します!」

すると家康公のご機嫌は治られた。

 

御側に在った本多上野介(正純)が、ここで言った。
「日向殿とあの時の藤堂殿を一所にして申すことはできません。

今回日向殿は、上様の名代として軍を率いるのです。

ですので、もし我儘を言うようなものが在れば、成敗されてかまいません。」

「忝い。」と申し上げた。

 

すると家康公が御意に、
「良いか? 今回は其の方に軍勢を率いさせるために申し付けたのだ。

絶対に絶対に、昔の一本槍の覚悟で身稼ぎをしてはならん! それは曲事であるぞ!」
と仰せられた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 倫魁不羈、水野勝成

 

 

 

ごきげんよう!