水野勝成が、放浪して佐々成政の元に居た頃、
佐々の家臣に阿波鳴門之助という壮士があった。
彼は度々戦功を成した者であり、その戦功を他人は、
『越すに越されぬ』
という心でその名を付けたと言われた。
水野勝成は、それを聞いて大いに腹を立て、合戦の有る時に鳴門之助に対面して、
「貴殿の名は越すに越されぬという心で名付けられたと聞き及びました。
明日の合戦、越せるか越せないか、私と貴殿とで先陣を争おうではありませんか!」
鳴門之助これを聞くと。
「それは皆、そんなことを言っている者達の誤りです。
私の名は祖父より受け継いだものであり、
貴公の言うような意味ではありません。
その上貴公の武勇は比類無いものですから、
私ごときが先陣を争うなど、到底及びの付くことではありません。
ですのでその事は、どうか御免下さるように。」
そう自らを下卑した。
勝成はそれでも食い下がり、何度も先陣争いを求めたが、硬く辞したため、
ついに「この上は。」と諦めた。
その夜子の刻(午前0時頃)、鳴門之助は密かに勝成の陣屋に人を送り伺わせ、
気が緩み油断しているのを確認すると、
そのまま単騎出陣し敵陣に馬を一文字に乗り入れ鑓を合わせた。
が、当然ながらたちまち多勢に取り巻かれ、数カ所の傷を受け、終に息切れて倒れた。
そこで敵兵が首を取ろうとした、まさにその時、佐々成政の総軍が押しかかった。
これにより敵も首を取らずに引き返し、鳴門之助は従者が肩に担いで自陣へと戻り、
幸いにも蘇生した。
すると鳴門之助は、勝成の元へと使いを立てこう伝えた。
『今日の合戦の先陣はきっと貴公であった事でしょう。』
勝成はこれに甚だ面目を失い、後年に成っても、
「あれはこの勝成、一代の不覚であった。」
と、人に語っていたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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