可児才蔵が、関白・豊臣秀次に使えていた時の話。
長久手の戦にて、秀次軍は徳川軍にこてんぱんにされ、敗走しつつあった。
そんな中、岡本嘉介と村善右衛門らの部隊は、懸命に踏み止まって戦っていた。
しかし、もはや多勢に無勢、とても支えきれない。
そこへ駆けつけたのが、可児才蔵だった。
「おお、才蔵殿がきてくれた!」
当時から彼の武勇は知れ渡っている。
岡本らは百万の援軍を得た思いだった。
才蔵が問う。
「殿はどこだ?」
「あちらへ退却されました!」
「ああ、そう。」
なんと、才蔵はあっさりと岡本らを見捨て、秀次が逃れた方角へ行ってしまった。
当然ながら、踏み止まった者達は腹の虫がおさまらない。
「目前に迫った敵を無視して逃げるとは、才蔵なんざ看板倒れだ!」
そう言いあっていた。
後日、聚楽第に参集した機会を捉え、一体どういうつもりだったのか問い詰めた。
才蔵は、こともなげに答えた。
「どうもこうも、総大将の後に続いたまでのことだ。
が、今あなた方の話を聞けば、これももっともだ。
よくわかった、では俺は暇乞いするとしよう」
有言実行、才蔵は自分の宿にも帰らず、その足でとっとと他国へ去ってしまった。
この後、福島正則が、彼を七百五十石にて召抱えることになるのだった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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