池田輝政は、徳川家康の娘婿として、播磨52万石を持つに至っていた。
そんなある日、督姫付の老女が、
「はっきり言って池田家が出世できたのって、
家康公のご息女たる督姫様と結婚の逆玉に乗れただけですよね。」
と言い出した。
これを聞いた輝政は激怒し、
「何を言うか! 池田家が大身になれたのは全て俺の努力の賜物だ!
断じて逆玉などではない。」
とその老女を罵倒したという。
その後、輝政はその侍女をこっそり呼びつけ、
「池田家が栄えてるのは確かに督姫のおかげってのは否定できないよ。
でもそんな事アイツに聞かれたらどうなると思う?
間違いなく徳川家の威光を鼻にかけて俺を蔑ろにするだろうぜ。
頼むからアイツの前でそういうことは言わないでくれよ。」
と釘をさした。
督姫は輝政前妻の子である池田利隆を毒殺を謀ろうとしたという逸話も残るなど、
極めて気性の荒い女性であった。
池田家は輝政死後、利隆系と忠雄系に二分され、
廃藩置県までずっと犬猿の仲であったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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