姫路宰相或いは、西国将軍などと言われた池田輝政は、
剛毅、剛勇の士であり家康の娘婿でもあった。
そんな輝政のもとには全国から武功の士が集まってきており、
輝政はそれを選抜、臣下に組み入れていった。
ある日、そうして家臣になった土肥周防と言う武功の士が、
馬上で闇討ちにあう事件が発生する。
土肥は左ももを斬られた。
「無礼者!」
そう叫んで土肥は刀を抜こうとしたが、その拍子に馬が驚いて跳ね、土肥は落馬してしまった。
従者が土肥に走り寄ったときには、刺客は闇夜に消えていた。
こののち良からぬ噂が立ち始めた。
曰く"土肥ともあろう者が刺客に何も出来なかった"
曰く"無様に落馬し立ち上がれなかった"
そんな噂は土肥の耳にも入った。
言われてみればその通りで、土肥は深く恥じ入り、将来に絶望した。
そんな様子を知った輝政は、近臣を呼んでさりげなく言った。
「周防は、闇討ちにあって、さすが武勇の周防らしいところを見せてくれたな。」
近臣はいぶかしげに輝政を見た。
(武勇の周防?腰抜け周防ではないか)
相づちも打てぬ近臣たちには構わず、輝政は言った。
「周防を襲った者はまともには周防に勝てぬと思って闇討ちしたのであろう。
しかし、一撃したものの、周防の武威に恐れ二撃はできずに闇夜に姿をくらました。
白昼ならいざ知らず、闇夜に消えた刺客をどうやって討つのだ?
土肥周防でなければ、刺客に膾のように斬られていたかもしれんな。
さすがは武勇の周防だ。」
この言葉があって以来、土肥周防を謗る者は居なくなったそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!