多士を育んで、天下の干城にならんと思い☆ | げむおた街道をゆく

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池田三左衛門輝政は、その寵臣である、若原右京、中村主殿をして、

諸国の牢人の中で武名才気ある者へは、常に米穀、あるいは金銀を与えて扶助し、

その数は数百人であった。

これは大坂に変が有れば、関東の出馬を待たず、播磨、備後、淡路の兵にこの牢人を加え、
自ら率いて一人でこれに当る事を欲したためであった。

それは、彼が関東より殊遇されていたため、
殊忠を致さなければならないと思っていたためである。

この為、彼は自ら婦女への愛や器物への愛玩等の費えを禁じた。
 

彼は、人に常に言っていた。

「今日、大国に封じられた者は礼遇にのみ篤く、手足の労を以って仕え難い。

それゆえ私はただ、多士を育んで天下の干城にならんと思い、

これによって自分の娯楽を抑損して、その財を以って武備に散ずるのだ。」

実に輝政の如きは、忠尽の将と言うべきであろう。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 雄々しく逞しく、池田輝政

 

 

 

ごきげんよう!