関ヶ原の戦いの時、14日に家康は赤坂岡山に着陣し、池田輝政を召された。
明日の合戦には、毛利秀元、吉川広家などが南宮山に陣し、
内応があるものの、未だに実否(真偽)が分からないので、
それに対して陣するようにとの命であった。
そのとき輝政は、南宮山の敵を迎え撃つことは本意ではなかったので、
願わくは先鋒に進み、石田、島津などと戦うことを望まれたが、許されなかった。
「輝政は、我の後陣なので、ぜひともこれに従うように。」
と、家康の仰せがあったので、仕方がなくこれに従った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!