秀吉が朝鮮を征伐した時、池田三左衛門尉輝政は船奉行の中村九郎兵衛に命じて、
兵糧を肥前名護屋に船で運ばせた。
中村は提灯2,3百と太鼓3,4十を買って名護屋へと到った。
時間は巳の刻で潮の状態も良かった。
しかし中村は玄海ヶ島に船を止めて、
わざと日暮れを待ち、亥の刻になって船を漕ぎ入れた。
そして2,3百の提灯に火をともして連れ、三、四十人が太鼓を打ち立てると、
火の光が海中に写り、太鼓の音は城の上に広く響いた。
秀吉が使者を遣わして、
「何者ぞ?」
とお尋ねになったところ、
「輝政の家来・中村九郎兵衛が兵糧を漕いで来た船である。」
と答えた。
秀吉は元来華美を好んだので中村の迎合は甚だ秀吉の心に適い、
すぐに秀吉は中村を朝鮮に渡海させなさった。
中村が朝鮮に到ると合戦はすでに無くなっていた。
その時、兵糧はまさに尽きるというところだったので、諸将は大いに喜んだ。
これは誠に中村に才略があったとはいえ、虚名であって実際の功ではない。
しかし、主君のためであって、自分のためにするわけではない時は、
少しは認めるべきであろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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