八田豊後は、無銘二尺三寸の郷義弘の刀を所持していた。
国清公(池田輝政)は、右の刀を指し上げよと度々仰せられていたが、そうしなかった。
ある夜、お酒を飲んだ後、国清公は豊後を呼んで、度々所望の刀を出せと仰せられた。
豊後は、
「度々お断り申し上げる通り代々所持している刀で、
これをもって御馬先を仕るべしと心がけていますので、
指し上げることは出来ません。」
と言った。
その時、国清公はお怒りになり、長押にある薙刀を取られたので、
豊後は扇で、国清公のお顔をしたたかに打って退出した。
元来、お酒に酔った後の話なので、御側の衆が国清公を取鎮め、
「豊後のことは、我らに仰せ付けて下さい。」
と押し留めた。
その後しばらくして酔いが覚められた後、深酒されていたものの豊後を呼んだ。
豊後はお手討ちだろうと覚悟してすぐに登城し、直に御寝所へと通された。
「我は酒に酔い其方を手討ちにしようとしたが、我の誤りであった。
其方いささかも心にかけてくれるな。」
と、国清公が仰せられたので、豊後は不覚にも落涙して退出した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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