比叡山・延暦寺☆ | げむおた街道をゆく

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信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

信長公が、山門(比叡山延暦寺)を攻めたとき、

九月十一日には諸将に命じて、すぐに攻めかかろうとしたが、
護国公(池田恒興)が、
「今日はもう日も牛の後に及んでいるので、そのまま夜になれば、

悪逆の衆徒が逃げてしまうでしょう。
明日鶏鳴(午前二時ごろ)より取巻いて攻めれば、

一人も生き残らないでしょう。」
と言われたので、もっともだということで、その日の戦を止められた。

さて夜半よりあんなにも大きな比叡山を隙間なく取り巻いて、

四方の手合いが合図の法螺を吹き立てると、一度に閧をドウとあげて攻め、

山門もここを専らと防戦したものの、四方八方より焼き立てたので、
ついに(延暦寺は)根本中堂を初め一宇も残らず灰燼となった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 清洲会議、池田恒興

 

 

 

ごきげんよう!