信長公が、山門(比叡山延暦寺)を攻めたとき、
九月十一日には諸将に命じて、すぐに攻めかかろうとしたが、
護国公(池田恒興)が、
「今日はもう日も牛の後に及んでいるので、そのまま夜になれば、
悪逆の衆徒が逃げてしまうでしょう。
明日鶏鳴(午前二時ごろ)より取巻いて攻めれば、
一人も生き残らないでしょう。」
と言われたので、もっともだということで、その日の戦を止められた。
さて夜半よりあんなにも大きな比叡山を隙間なく取り巻いて、
四方の手合いが合図の法螺を吹き立てると、一度に閧をドウとあげて攻め、
山門もここを専らと防戦したものの、四方八方より焼き立てたので、
ついに(延暦寺は)根本中堂を初め一宇も残らず灰燼となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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