姉川の戦いの前夜、織田信長の御前にて、軍議が行われていた時、徳川家康は、
「今回の合戦は、二の手の働き次第で勝利を得るでしょう。」
と発言した。
しかし、これを聞いた池田勝三郎(恒興)は、
「どうして敵を、二の手まで越させようか!」
そう傲慢げに発言した。
家康はこれに、
「そのようにあってほしいものです。」
と、さにあらぬ体で席を立った。
さて、姉川の合戦が始まると、池田恒興の備は浅井の先鋒にさんざんに切り崩され、
酒井忠次の備に崩れかかった。
忠次はこれを見て、
「おことは、昨日の広言にも似ぬものかな!」
と言いながら、長刀の石突の部分で、
恒興の馬の三途(馬の尻の方の、背骨の盛り上がって高くなっている部分)を打つと、
馬は驚いて恒興は落馬した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!