池田恒興は、織田信長の乳兄弟だが、母・養徳院が、信長の乳母として、
また信長の父信秀の側室として城に上がっていたため、
幼い頃より恒興の父親である池田恒利配下の森寺に、預けられ養育されていた。
しかし母親がそのような立場であっても、特別に扱われるわけもなく、
その生活は決して楽ではなかった。
そして月日が流れ桶狭間の時、周りの同輩の者達は、
これが最期の戦になるだろうからと、
鎧兜の類を良いもので揃えていた。
養父・森寺も、恥はかかせたくないとして、
いろいろ工面し養徳院にも助力を願い鎧はどうにか用意することができたが、
兜までは用意できないまま、いよいよ出陣の時を迎えた。
事情を知った恒興は、兜があるとかえって臆病になるから、
これでよいと戦勝と安全を祈り、
母自らが縫ったという鉢巻を付け、今までの恩の礼を述べた後出かけていった。
かくして恒興は、鉢巻姿で桶狭間の合戦に挑んだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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