大内義隆は、学問や詩歌の良く出来る者、行儀の良いもの、
そして美形のものに多く知行を与えた。
逆に武勇の者には立身の機会がなく、それを恨みに思う者が多かった。
戦の役にも立たない連中ばかりが取り立てられることを苦々しく思っていた家老の陶隆房は、
書状をもって義隆をいさめた。
その書状に言う、
『およそ、武士が主君に奉公する場合、八つの役があると言います。
一に使役、二に番役、三に供役、四に賄役、五に普請役、六に頭役、七に奉行役、
そして八に軍陣役。
この八つを良く勤め、そして優れた人間に、
的確に恩賞を与える事こそ、大将たる者の器量というものです。
さて、この内七つの勤めの良し悪しを判断するのは、ごく簡単な事です。
八つ目の軍陣役は、本音では惜しいはずの命を捨て、
敵を退け国を守る最も大切な役です。
それを良く成す者は、まさしく忠義の者であり、
武家においては秘蔵すべきと言うほどの大切な人材であるのに、
そう言う人々を無視し、だた美しく風流な人々ばかりに大きな所領を与えるのは、
武勇、智謀ある家臣たちの恨みを買うばかりではありませんか?
一大事が起こった時、後悔しないよう、どうかお考えください。』
これを読んだ義隆は、大いに怒った。
「世が乱れた時には武を用い、世が治まる時は文を用いる。
これが聖人の道ではないか!
それに武官を重用せよというのは、かえって乱を起こす元であり、
こんな事を言い出す人間は痴者と呼ぶべきだ!」
このように隆房を侮辱した。
やがてそれを聞いた隆房は激怒し、謀反を起こす。
その時、武勇のものたちの多くは、
かねてより義隆に恨みを持っていたので隆房の味方をし、
義隆の周りにいた、詩文を作っていた歌詠みたちは、
一戦も交えることなく皆逃げつくした。
結局、義隆はまともな抵抗も出来ず、陶に国を取られてしまった。
平時に武を捨て驕れば、大事が起こった時防げなくなる。
戦いを忘れた時は必ず危うい、と古人がおっしゃったのは、
まさにこの事であろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!