天文20年(1551)、大寧寺の変で、主君・大内義隆を討ち取った陶晴賢には、
前々からの、ひとつの不満があった。
瀬戸内の海上交易についてである。
何故に海賊たちに、自由に通行料を取らさねばならないのか。
これがなければ瀬戸内の交易は、間違いなくもっと栄えるのである。
現に前々から堺の商人たちも、この通行料についての不満を言って来ていた。
大内氏は海賊の既得権を認めてきた。
だが、今やこの地域の支配者は自分である。
今こそ、この長年の懸案を解決する、チャンスではないか。
陶晴賢は、宣言した。
『我々はその支配する海域において、商船が「煩い無く往来」することを保証する!
海賊たちが持っていた通行料徴収の権利は「謂れ無き事」であるので、これを廃止する!』
陶晴賢は能島村上氏などの瀬戸内海賊による海の支配を否定し、
瀬戸内海水運の直接掌握にとりかかったのだ。
豊臣秀吉の海賊停止令に先立つ、35年前のことである。
この政策が上手くいっていれば、戦国の瀬戸内の風景は、大きく変わっていただろう。
…が、
瀬戸内海賊最大の勢力、能島村上氏はこれに多いに反発。
陶晴賢との対決を決めた毛利元就に味方し、厳島合戦において彼の勝利を大いに助けた。
陶を滅ぼした後、毛利は村上水軍に当然のごとく、その権益を完全に保証した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!