天下統一を果たした豊臣秀吉による慶長の役で、
朝鮮半島に渡った吉川広家は、加藤清正の籠る蔚山城が、
約7万の明・朝鮮連合軍に包囲された際、毛利秀元や黒田長政らとともに救援に駆け付けた。
そして、軍議で総攻撃は翌日と定められていたにも拘らず、
敵陣の動揺している様子を見て好機と捉え、自らの判断で出撃しようと考えた。
これを、元は毛利家の外交僧で、秀吉に取り立てられ大名となった安国寺恵瓊から、
「勝手に出撃するなど軍法違反ですぞ!」
と制止されると、広家は、
「兵法は武士のもの。坊主の指南は無用!」
と言い捨て、兵を進めて敵を撃退するきっかけを作ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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