朝鮮元旦の踊り☆ | げむおた街道をゆく

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朝鮮の役の時。

正月元日の未明、朝鮮に在陣していた毛利宰相秀元の本陣に、

太鼓や鐘をかき鳴らして何者かが近づいてきたのが聞こえてきた。
 

その日は元旦であったので、秀元の本陣では、

上下とも静まり返って朝拝の儀式を執り行っていた。
そんな時にこのような事があり、敵が攻め寄せてきたのではと申す者も有り、

秀元は物見の者に、急ぎ見てくるよう命じた。

物見は馬を飛ばしそれに近づいて見ると、獅子頭、赤頭など、いろいろな面をかぶり、

異形なる衣類の美麗な出で立ちをして、
旗印、笠鉾などを指した2,3千の人々が、

太鼓や鐘、笙や篳篥(ひちりき)などの楽器をかき鳴らし進んでいた。

物見が、これは一体何者なのかと聞くと、通訳は、
「あれは年頭の御礼に、大将軍(秀元)に踊りの興行をかけ奉る者達です。」
と言う。

急ぎ帰ってこのことを報告すると、秀元は、
「日本では盂蘭盆に踊りがあるが、正月元旦に踊るとは、風俗も違っているのだな。」
と仰り、それから支度のため待たせ、大手の門を開いて彼らを尽く入れて踊らせた。

この踊りの者達は、様々な曲を仕り楽を奏し、四ツ時分(午後10時頃)まで踊った。
秀元は、これに褒美として、鳥目五十貫を取らせた。

その後、彼らは加藤主計(清正)殿の所に向かい、その他諸侯を3ヶ日の間、

次々と踊りまわったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 宰相殿の空弁当、毛利秀元

 

 

 

ごきげんよう!