朝鮮の役の時。
正月元日の未明、朝鮮に在陣していた毛利宰相秀元の本陣に、
太鼓や鐘をかき鳴らして何者かが近づいてきたのが聞こえてきた。
その日は元旦であったので、秀元の本陣では、
上下とも静まり返って朝拝の儀式を執り行っていた。
そんな時にこのような事があり、敵が攻め寄せてきたのではと申す者も有り、
秀元は物見の者に、急ぎ見てくるよう命じた。
物見は馬を飛ばしそれに近づいて見ると、獅子頭、赤頭など、いろいろな面をかぶり、
異形なる衣類の美麗な出で立ちをして、
旗印、笠鉾などを指した2,3千の人々が、
太鼓や鐘、笙や篳篥(ひちりき)などの楽器をかき鳴らし進んでいた。
物見が、これは一体何者なのかと聞くと、通訳は、
「あれは年頭の御礼に、大将軍(秀元)に踊りの興行をかけ奉る者達です。」
と言う。
急ぎ帰ってこのことを報告すると、秀元は、
「日本では盂蘭盆に踊りがあるが、正月元旦に踊るとは、風俗も違っているのだな。」
と仰り、それから支度のため待たせ、大手の門を開いて彼らを尽く入れて踊らせた。
この踊りの者達は、様々な曲を仕り楽を奏し、四ツ時分(午後10時頃)まで踊った。
秀元は、これに褒美として、鳥目五十貫を取らせた。
その後、彼らは加藤主計(清正)殿の所に向かい、その他諸侯を3ヶ日の間、
次々と踊りまわったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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